葛飾区の歴史
葛飾区総合庁舎1868年1月 武蔵県葛飾郡となる
1869年1月18日 小菅県が新設されこれに属し、小菅県庁を葛飾郡小菅村に置く
1872年2月8日 小菅県を廃し、東京府葛飾郡となる
1878年11月2日 東京府、「葛飾郡」の地称を廃し、東京府南葛飾郡となる
1889年 町村制施行により、現葛飾区域内に新宿町1町のほか、金町村、奥戸村、水元村、亀青村、南綾瀬村、立石村の計6村が誕生する
1890年5月 立石村を本田村と改称する
1928年3月1日 本田村が町制を施行
1932年10月1日 南葛飾郡内の5町2か村が合併し、東京市葛飾区になる
以降1937年3月31日まで千葉県に同名の葛飾町があった。
1943年7月1日 東京府・東京市が廃止され、東京都葛飾区となる
葛飾の名称について
葛飾の名称は現在の葛飾区の地域固有のものではなく、葛飾とはもともと下総国葛飾郡一帯の広大な地の総称であった。この場合の「葛飾」とは、中央付近を概ね現在の千葉県市川市付近とし、北を埼玉県北葛飾郡、西を東京都葛飾区や墨田区付近、東を茨城県古河市、南を江戸川区や浦安市付近とする一帯で、古くは万葉集などにもその地名が登場している。
なお現在の葛飾区一帯や江戸川区の付近は近世まで「葛西(葛飾西)」の名称で呼ばれていた地域であり、現在も東西線「葛西駅」、湾岸線「葛西ジャンクション」、「葛西臨海公園」、警視庁葛西警察署等にその名が残る。なお明治維新直後には、千葉県市川市から船橋市一帯に新行政庁として「葛飾県」が設置されたこともある。
現在の東京都葛飾区以外に「かつしか」「葛飾」の全部または一部の名が付いた地名等が数多いのは、こうして本来「葛飾」と呼ばれた地域が非常に広大であったためである。また、「葛飾」のほぼ中央付近に位置している、現在の京成電鉄京成西船駅(千葉県船橋市)は、1987年まで「葛飾駅」の名称を使用していたほか(現在も駅名下には「旧葛飾駅」の表記があるほか、JR西船橋駅南東側の町名は現在も「葛飾町」である)、この周辺に点在する学校等施設はいずれも「葛飾幼稚園」「葛飾小学校」「葛飾中学校」など、「葛飾」の名をそのまま現在も冠している。
また、JR総武線「本八幡駅(もとやわたえき)」の語源にもなっている神社「葛飾八幡宮(かつしかはちまんぐう)」(千葉県市川市)など、葛飾の名を冠したものは、実は現在の葛飾区よりも、「本来の葛飾」の中央付近だった千葉県北西部に多い。
|